丹頂チック

 通学路で口論となった中学生が、刃物で相手を刺し殺してしまうという事件があってから数ヶ月、その中学校に晴れて入学した。ちょうど横浜銀蠅的な古典ツッパリ像から「放課後の窓ガラス壊して回る」尾崎豊的作法に不良のタイプがシフトしている時代で、他校から番長だせと力自慢の暴走族が訪問すると、走ってきたバイクの車輪に物干し竿を投げ込んで対応する新人熱血教師がいたり、今から考えると1980年代はシラケでも新人類でもなく、けっこうアナーキーだった。

 渡辺くんと仲良くなったのは、偶然、学区から一番離れていた自分の家と方向が同じだったから。彼は両親の離婚によって隣の学区に引っ越した後も、友人と離れたくないため、約3Kmの距離を毎日歩いて通学していた。中森明菜をデビュー当時から注目していた彼は、「禁区」の発表と同時に熱狂的ファンとなり、毎日下校中に一緒に「そろそろ禁区〜」と歌わされた。近所の映画館を逆から進入する手口で一緒に映画「ユー・ガッタ・チャンス」をタダ観した後、彼の全ての行動は主役の吉川晃司がお手本になった。

 本当に手のつけられないワルになったのは、「腐れパンダ=クサパン」というあだ名の中年の美術教師に、髪を吉川晃司化したことをとがめられ、美術の授業中にバリカンで頭を刈られてからだ。当時40代だった腐れパンダは、常々生徒の前で美大生時代に図書館から本を盗んだり、公共物に絵の具でイタズラ描きをしたことなど自慢する小心者の色黒陰気小型親父のくせに生活指導主任を務めており、日頃のストレスを込めた残酷な鉄拳を生徒に施した。彼は体罰する前、必ず親の職業を確かめる注意深さがあり、渡辺くんの「親父はトラックの運転手。片親」という回答を聞くと、丹頂チックでギンギンに立てた髪は、バリカンで無惨に刈り取られた上、「残りは放課後だ」と言い残し、モヒカン状態でいったん作業を放置&羞恥プレイ。渡辺くんは狂ったように笑いながら同級生にモヒカン頭を見せびらかし、給食を食べ、午後の授業を受けた後、美術室で残りの髪を全部刈り取られた。美術室から出てきた渡辺くんの瞳にはうっすら悔し涙が潤んでいた。教室には他にもゼリー状のディップで固めて立てたヘアスタイルの生徒も数名いたが、彼らは親がNTT職員だったり官僚だったりしたので無事だった。
 その後、ミーハーで楽しいバカ仲間だった渡辺くんは、ヤクザの事務所などに出入りするようになり、学校に来なくなった。卒業式は一年生の時の元担任の説得で無事出席したが、5cmほどにのびたザンバラ頭の渡辺くんは「早く髪を長くしたいからワカメを沢山食べている。今度はチェッカーズのフミヤにしたい」と語り、やっぱり根はミーハーのままだった。

 卒業から4年後、渡辺くんは突然家に遊びに来た。ラメの入ったスーツ、髪型は安全地帯の玉置浩二そっくり。「かっこいいじゃん」とほめると、実家を出て共同生活をしている。川越と池袋でワニ皮ハンドバックのキャッチセールスをやっている。など近況報告後、マスコミには絶対に秘密だよと口止めして、次のように語った。「中森明菜は一晩2,000万円出せば抱ける。兄貴も別のアイドルと500万で寝た。俺もそれが夢で金を一生懸命貯めている。おまえも本気だったら紹介してやる」と。自分は小泉今日子原田知世が希望だというと「そいつらは一億とか3,500万円とか、もっと高いからダメ」と、あっさり断られた。その後、渡辺くんには二度と会っていない。彼は本望を遂げることが出来たのだろうか?