失われた90年代

 「バブルの頃の東京は、すごかったね。覚えていない? 地方出身で子供だったって? かわいそうに。山手線なんかE電とか『イー感じ!!』とかいっちゃって、車両全体にネオンの電飾つけて光らせていたんだよ。私鉄は私鉄で小田急線が車体全部を七宝焼のモザイク・アートにしちゃうし、西武線は黄色い車両に純金の金箔貼っちゃうし。かと思うと東武線は歌舞伎をモチーフにしたデコトラ仕様で北関東をぶいぶい走行させていたし。京急の急行は必ず最後列車内で人気アイドルの無料ライブイベントをやっていた。後日、景気わるくなってから、パンクバンドのライブしたら、みんな飛び跳ねて脱線事故起こして以来中止になったけど。ほら、二人ぐらい圧迫死しちゃて、賠償問題になった・・・覚えていない? 最近はすっかり。もう、だめだよね。景気わるくてさ。新宿西口の駅前とか、いつでも300〜500社ぐらい新製品の試供品配っていてさ、もうOLとかみんな鞄からはみ出すほどシャンプーとかチョコバーとかストッキングとかもらっていたし、親父はビールからはじまって、ウイスキー、日本酒、いろいろな試飲ボトルをもらって、その間に、ビーフジャーキーとか干しフグ、キャビアとかの試食を配っていて、もう選び放題。なんでも向こうからくれる。ほんと、コンビニとか必要なかった。でもね、そんなのに群がっていたのは貧乏人。第一、通勤に電車使っているんだから、もうだめだね。みんな遊んだ。夜遊びした。みんなクラブで毎日ドンペリレミーマルタンを飲んで、しまいには飲んで酔ってオシッコするのめんどくさいからって、テーブルにアヒルのおまる持ってこさせて、満タンになるまで『飲んだフリ〜』でグラスから直接便器にお酒を注ぐのが流行った。だいたい、酔っぱらっておまる五個満タンにすると銀座で500万円。それぐらいの領収書軽く切れないと、一部上場企業の部長クラスだとケチバカ扱いされたし。みんな競って乾杯して、飲まずにおまるに注いでいたよね。最後は、必ず誰かがそこにオシッコして終わり。そんで帰りは、終電後にタクシーなんて拾えなかったからね。おねえちゃんにすがられてさ、道ばたで扇状に万札をかざして、チップチップと叫んでモグリのタクシー捕まえている親父が、どの盛り場でも午前二時ぐらいの風物詩になっていたし。うーん、繰り返すけど、ホント景気悪いよ。あの時代にやっぱ、日本はボロな海外投資ばっかりしていて、国内のインフラを後回しにしたのが問題。バカばっかり。な、ちゃんと聞いているか、若造? しっかりやれよ」と、新宿の街角で出会ったホームレス詩人に、レギュラーサイズの発泡酒一本、マルボロイトメンソール四本をねだられた上、失われたバブル世代の知られざるゴージャスなエピソードを聞かされた。
 もう週末だし、今週は疲れ果てた。お休みなさい。