メモ・南の精神誌

HelloTaro2005-08-20

東京のド真ん中には、道を通じたネットワークの中心点とシンボルでもなく、タワーや象徴的な建築でもなく、手厚く警備された手つかずな自然な状態の森や、絹糸をつむぐためのカイコの飼育小屋や、水田と、象徴性を帯びた王の住む社、皇居があるだけの、からっぽな「空虚なる空間」であることを指摘したのはロラン・バルト。1980年代にデザイナーの奥村靫正が撮影した、皇居の中の森や、何もない、自然の気配の濃厚な草っぱらの中を闊歩するネコの写真をとある雑誌で見てから、日本の神道・原始宗教における「からっぽさ」がずっと気になっていた。

去年、石垣島の隣にある竹富島を訪問した折、ヨソモノ、ストレンジャーの特権で、内地の神社にあたる聖なる場所、御嶽、、、ワン、、、をお参りした。
その、香炉とそれを覆う屋根のような、それ以上、奥に立ち入る事を禁じられているような簡単な建物以外なにもない、恐ろしくシンプルな場所の、なにかハッとするような、しかし息をのむような気配が、ずっとトゲのように自分の中にひっかかっている。

自分は聖地といわれる場所が異常に好きで、旅行している時も、寺社仏閣教会なんでもござれで飛び込んでしまう。友人と旅行していて、たまたま有名な神社などを通りかかった時に、一緒に立ち寄ってくれない人とは、それが原因で気まずくなってしまうような事も何度かあった、、、よな。昔は若かったから。
今でも、仕事で海外や国内など出張中、そういうちいさな聖地を発見するが、時間の関係でほとんどパスしてしまう。残念だが仕方がない。大人だから。この数年の間にも、沖縄や種子島、九州各地やインド、セイロン、中国南部沿岸地帯などを訪問する機会があって、そういう南の聖地や墓地、古墳などの徴付きの空間が気になって仕方がなかった。が、もちろん調査する時間はナッシングあるよ。
だいたい、大文字の世界宗教や近代的な新興宗教と違って、アジア各地に点在するささやかな「聖なるからっぽな空間」の真相は、急ぎ足の旅人には簡単には解らないし、土地の人に聞いても、ほとんどの人はなにも知らないか、上手く話せないか、教えてくれないことが多い。

柳田国男の研究で有名な岡谷公二による「南の精神誌」(新潮社:2000年)は、そんな自分の中の「聖地放浪&探検調査願望」に共鳴した一冊。
南の精神誌
なぜ、日本人は、南方に夢を馳せた西洋人、画家であればタヒチゴーギャンやバリ島のワルター・シュピース、オーストラリアやニューメキシコに移住したD.H.ロレンスなどと異なり、南方に対して過度な期待や憧れを持たないのか? 「文学一つとってみても、樺太・北海道をめぐって、石川啄木有島武郎、岩野泡鳴、小林多喜二伊藤整らがすぐれた作品を書いてきたのとは対照的に、沖縄は戦前までの文学において、舞台としても表れてこない。沖縄とい時頭(ママ)に浮かぶ文学者は、かって首里城址にその詩碑が建っていた佐藤惣之助ぐらいなものだ。その彼の『琉球諸島風物詩集』(1923)とて、わずか数ヶ月の旅の所産にすぎない。沖縄が歴史を持ち、色彩に溢れ、陰影に富んだ趣きの深い土地だけに、この欠陥は不思議である」と、疑問をいだく著者は、やがて柳田国男の「海上の道」に導かれて、日本文化の深層にある南方的要素に触れ、我々にとって南は本来、憧れる未知の世界ではなく、あくまでも地続きの同じ文化的ルーツを持つ世界だということを発見していく。

墓地と神社をめぐるタブーや、実際にフィールドワークによって得た見聞の中での、宗教的・土地の持つ深層世界を開いていく手際などの記述に、時折、ハッと胸の中に熱帯の森で出会う木洩れ日のような鮮やかな描写があって、読んでいく快感を味わえた。たとえば折口信夫柳田国男の南方論についてのパートを辿っていると、自分の中でバリ島。ウブドゥの田舎道で出会った、おそろしいほど大きなガジュマロの木のビジョンが生き生きと浮かんだが、まるでそれを見透かすように次のページでバリ島のプラ(寺と訳されることが多い、バリ・ヒンドゥの聖地)と、日本の原始神道や神社との共通性について記されていたり、、、。
ジミだし読み方によっては得るものが無い、、、まるで沖縄の御嶽のような「からっぽさ」として、、、感じられるかもしれない書物。でも個人的に非常に興味深いというか、すこしだけ、救われたような気持ちになった。