節談説教

この「なんだかよくわからないけど良い気持ちになる」話術の秘密はなんだろうと思っていた時に「ドキュメントまた又『日本の放浪芸』節談説教 〜小沢昭一が訪ねた旅僧たちの説法〜取材・構成・ナレーション:小沢昭一」という6枚組のCDボックスセットに出会った。
http://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A000535/VICG-60243.html
浄土真宗開祖の親鸞聖人や、後の蓮如上人が話術的な才能・技法をもって人々に感銘を与えたという話は、以前なにかで読んだ記憶があったが、こりゃ面白い。言い回しのリズムに、なにを説いているのか全く解らなくても耳が誘われ聞いてしまう。
当時、危険思想とされ弾圧された浄土真宗の、システム管理者が狼狽するようなラディカルな側面を、節談説教を行う僧侶達の肉声を通じて初めて理解することが出来た。
言葉の中に「節」というリズムが宿る節談に、仏法の説教は芸能と限りなく近くなり、やがて浪花節浄瑠璃、落語、現代の歌謡曲まで、その独特の言い回しという文化的遺伝子が宿っていく。その筋道を、小沢昭一氏は探偵のように辿っていく。
最後、ラジオドラマという、フィクションかノンフィクションかさだかでないフォーマットで、節談を追いかけていく間に出会った、とある説教師の熱狂的ファンである老婆からもらったオブラート、、、彼女の手によってボールペンで「波阿弥陀仏」と書かれたオブラートを「いいから飲むましぃ!!」と、老婆にせかされるままに飲んだ小沢昭一氏は、やがて自らその説教者の節を憑依させ、自らの芸に昇華させていく。その役者魂に圧倒される。
というか、聞く側も体力と集中力を維持するのが大変で、CD6枚聞くのに10日以上かかった。「なんまいだぶなんまいだぶ、、なんまいだぶなんまいだぶ」という、老婆達の熱狂的な受け念仏の声が、脳みそにペタリとオブラートを貼られたように、なかなか脳裏から消えない。