タナカカツキ展と赤ちゃん

最近、毎晩のように2005年12月14日から28日まで東京都渋谷区原宿のラフォーレ原宿で開催中の「タナカカツキのタナカタナ夫展」で購入した「タナカタナ夫展」と「赤ちゃん」DVDを観ている。うかつにも眼や鼻から水のような汁というか謎の液が分泌したり、タナカツ・ウイルスにやられっぱなし。くっそ〜!!
http://www.kaerucafe.com/ka2ki/
で、タナカカツキ氏の映像作品をみていて、必要以上に気になるのが横スクロール。画面がずっと横に水平移動していく表現。「赤ちゃん」DVDだと「DREAM LIGHT」やジングル、「タナカタナ夫展」DVDだと小さいカッパが歩いていく「Frogtoise」や「NightKitty」「イエス☆パノラーマ!」なんかがそう。あと「GbmCM」とか。

タナカカツキ「イエス☆パノラーマ!(2005)
これらの映像によって自分が喚起したのは、古い日本の絵巻物。たとえば桃山・江戸初期時代の俵屋宗達が書いた「西行法師絵巻」とか、大正時代に今村紫紅が大正時代にインド旅行した時に描かれた「熱国之巻」とか、そんな極上の絵巻物を観ている時の横に広がっていく世界の感覚をめっちゃ彷彿しました。とくに今村紫紅の「熱国之巻」とかCGで動かしたら、ちょっとイイ感じになるのではないかと?



今村紫紅「熱国之巻・朝之巻」(1914)より

で、横スクロールって、なんか、優しいんですよ。なんででしょうか?
これは、たとえば縦スクロールのゲームを考えてみると解るんですけど、縦の場合、例えが古いけどヴィデオゲームの「ゼビウス」でも戦争ゲームでもなんでも、抽象的な空の上の世界、つまり神の視点から見ている。たぶん、縦スクロールの起源には、囲碁とか将棋とかチェスとか、もの事を個人ではなく集団や国家という上位から俯瞰しコントロールしようとする、権力的な欲望への意志がある。

ナムコゼビウス」(1982)
それに対して、たとえば宗達の描く西行法師の絵巻とかって、ひょろひょろオッサンが山とか川とか歩いて、人とあって、歌をよんで、で、画面からあらわれたり消えたり、ふらふらしている。

俵屋宗達西行物語絵巻」(1630)より
絵巻モノを眺める眼も、ふらふら絵巻を広げながら、ふらふら移動する。その空間は、複数の時間を並列させながら、消えたかと思えば現れ、また同時に別の場所にいたりと、ヘンテコな時間軸の中で、脳内の時空移動を可能にするマシンのように働く。
その時、視点は常に横に一緒にいる。そばにいる感じがある。
そして、俯瞰図と違って、、、水平線や画面の奥から来るものは、近くに来るまでなにか解らない。その驚き。作者は、特に画面上の全てを設計するアニメ作家は、作品にとっては神そのものかもしれない。しかし、作者が単なる超越者や支配者となるのではなく、画面の中のキャラクターと同一化し、一緒にワクワク楽しんだり、せつなくなったり、震えたりする純粋な喜びが伝わってくるのがウレしくてスコしカナしい。