いにしえのコトバ的にいふと

話は変わるが、ピチカートVのいにしえの名キョク風にいうと「ボク」は「キミになりたい」のだが、このばあい現実的に「なる」のが目的ではなく、永遠に「キミ」に「なりたい」というその屹立するリビドーに支配された精神運動行為の持続が目的となる。
それは画家マルセル・デュシャンの代表作「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」の性的な永久機関的欲望と連鎖するテーマでもあり、また「接して漏らさず」という道教的奥義にも通じながら、鏡に映った「なれない自分」からの脱出を目指してケイレンするダンスを続けるために音楽を鳴らし続ける。踊り狂え51Dayと4時間&8分32秒がボクに与えられた猶予ダァーっと。
なんて適当なこといいながら、今も山積みのCDをノートパソコンに突っ込み続けるオイラだったり。