訃報と情報化社会

HelloTaro2010-12-31

小学3年生、10歳ぐらいの曖昧な記憶で申し訳ない。たぶん。図書館で縮尺版など閲覧する手間を惜しまなければ確認することも可能だろう(しかし、別紙だったらわからない)。
筑波科学万博前夜でもあった1980年の最初の新聞は、いわゆる「ニュー・メディア」(通信を使った映像のやりとりやテレビ会議ワードプロセッサ、コンピュータなどを利用した様々な新しいメディア形態)の普及についての記事でいっぱいだったように記憶している。
あらゆる情報を一瞬で集められる「未来」。
その状況を考えたときに、、、エロいことは別にして、、、つまり大量の情報や物語に囲まれた時に、有名な人も加速度的に増えていき、しまいには、それの伴う人の死の情報=訃報の数が、無数に増えていく事態を想像し、クラクラしたのを覚えている。
その酩酊したような感覚と不安を父親に相談すると「そんなことで困ることはない」といわれた。その後すぐ、87年に病死した父の事は、薄っぺらい感傷的な物語に翻案された上で、下手くそな地方新聞の記事と国営放送のニュースのネタにされた。僕の手元には彼の書庫にあったペーパーバック版のMarshall McLuhanによるThe Medium Is the Massageが、デリーシャスおじさんによる日本語の解説書と一緒に残された。マクルーハン先生のおっしゃるとおり、誰もが15分ぐらいはメディアを通じて有名になれる時代の死だったのだろう。
30年という年月は、短いのだろうか、長いのだろうか?
かつてのニュー・メディアはもちろん、スマートフォンの普及などでアラン・ケイのビジョンにすら追いついてきたような「未来」としての2010年も、いよいよ終わる。
音と映像、そして漏洩した国家機密文書を含む様々な情報が、、、人工衛星による通信や高価な集積回路を集めた技術の結晶の多くが主にエロい動画のやりとりなどに使われている現状は別として、、、簡単にパソコンや携帯電話から入手できる今日。訃報一覧だってもちろん、楽勝で入手できる。その死のリストに、やはりクラクラしている自分もいる。
しかし、たしかに、そんなに困ることではなかった。
本当に大切な別れは、ニュースにはならないことの方が多い。情報化できない、あるいはされないことは、無数にある。
晦日である今日は、個人的な追悼の日であり、また自分がまだ生きていることを確認する日でもある。
一年を振り返って、目を瞑る。ふと見上げた空にかかる虹に、風にふかれて目の前に落ちてきた花びらや落ち葉に、そして海辺の陽光に、不意をつかれ、気づき、涙を流す。30年後の世界で、40歳になって、上手く言い表せないことは、沢山ある。