say yes jack

 Nさんと出会ったのは、某外資系遊園地の工事現場。休憩時間に混み合う詰め所の人の間を、大きな身体の男が何度も転び意味無く迂回して進み、ロッカーからマスキングテープで補強したメルヴィル「白鯨」の単行本を取り出し、青い錠剤をぽりぽり飲みつつ、文面に鉛筆でアンダーラインを引き続ける動作が眼を引いた。最初はどこかに怪我か障害があるのではと思ったが、「あれはパフォーマンスです」と、先にNさんと一緒のチームで働いた建築マニアBくんがつぶやいた。オープンを目前に控え人手が足りず、日本&世界中の美術造形屋はもちろん、自称美術家、芸術家、漫画家、アニメーター、デザイナー、バンドマン、旅人、DJ、VDJ、レイバー、ジャンキー、ギャンブラー、各種浪人、とにかく訳の分からないフリーな人々(俺含む)が通常の工事現場のスタッフの他に補助作業員として2万人近くも集まり、恐ろしい制作費の文化祭前夜状態が休日返上で連日続いていた。芸術的完成度を求める米国人アート・ディレクター達と、外資系遊園地のコンテンツ制作ノウハウ獲得のため採算度外視で受注した、とにかく早く完成させたい日本のゼネコンの間で、主にコスト面から派生する不協和音が生じており、また通常と異なり、通訳付きのアート・ディレクターが現場監督よりも上位になるヒエラルキーの不思議な工事現場。内外を含め本当に様々な人がいたが、その中でもNさんはダントツだった。本業は国際的な秘密結社と芸術に関する研究者にして、英国で個展を開いたこともあるコラージュ美術作家。歯が数本抜けていたが、これは某秘密結社の張り込み調査時に、プロに口止めのために殴られたことが理由(本人談)、手の甲には絆創膏で隠されていたが666の数字の刺青があった。我々の任務はエイジングという、新品の建物やインテリアを時代色をつけるために汚す美術セットの仕事。Nさんは作業中、自分のヘルメットや作業服に象徴的な数字やもしくは気の赴くままのエモーションによる個人的なエイジング&ペイントを施す事に熱中したり、同じ場所を8時間かけて塗った後、地色で潰し、また最初から作業するなど、パンクスピリッツを炸裂させていたが、人手が足りないためクビになることはなかった。しかし、彼はたとえば壁の装飾、ワニを踏み台にするギリシャ風神像の意味を質問すると「ワニはアフリカの象徴。これはヨーロッパ人のアフリカ永久支配のシンボルです」など即答。そのレベルでクリスチャン・マークレイなど前衛音楽や現代美術の話が出来るのだから面白くない訳がない。仲の良い米国人ディレクター経由でゼネコン現場監督に根回しして、一緒に作業するようになった。それから約半年後、園内は花火の仕掛け職人、本場イタリアの細密だまし絵職人、植木屋さん、ダンサー、振り付け師、バンドマンなどが増え、最終仕上げ作業が進み、やがて我々の仕事はなくなり、2万人の臨時作業員は再び街に放り出された。
 半年後、渋谷で再会したNさんは大きな鞄を片手に暗い顔をしており、「龍の髭」で大根餅などの台湾料理をボソボソと食べながら、かつてパルコ系文化人が社長のアート系イベント会社で働いていたが、某フリーペーパーから社長名義で原稿依頼を受け、無断代筆したためにクビになったことや、複数の女性達に行った悪行などを語った。食事後、渋谷駅で突然「背中を殴ってください」という。軽く叩くと、もっと強く打ってというので腰に回転を付けて殴ると「まったく感じない、神経が壊れている。たぶん僕はエイズです。もうすぐ死にます。今、持ち物を整理中なので遺品だとおもって受け取ってください」と、1980年代ディスコミュージックや映画サントラのアナログ盤約30枚と、日本現代政治史や米国の日本占領に関する書き込みだらけの資料、彼がクビになるきっかけとなったフリーペーパーの切り抜き、コラージュ作品などを渡された。数日後、彼の携帯は不通となった。
 先日、某石焼きビビンバ専門店で遅い昼食を取っていると、Nさんに肩を叩かれた。「生きていたんですか?」「生きています」。多少顔の印象が痩せたが、恰幅の良い体格は3年前と変わらない。仕事場に戻らなければならなかったため、PHSの番号を聞き、その場で電話して回線が繋がることを確かめ、後日改めて連絡する約束をした。
 昨夜、その番号をコールすると「現在使用されていません〜」というアナウンス。とりあえず生存が確認出来た事でよしとするべきか?