在赤蜻蛉的風景

 野生の赤トンボは、夏の終わり夕焼けの味がする。
 学生時代、登山サークルに所属しており、一年目の夏の縦走合宿最終キャンプ地、とある山麓の、清流に囲まれた中州にあるテントサイトで台風に遭遇。夜間、寝ているとテント内の床上20cmまで浸水、その後、数日間、水に閉じこめられて過ごした。自分が最初にいたボロテントは早々に水没。先輩女子三人と男一人の新型ハーレム・テントに移動して過ごしたのは、悪い思い出ではない。しかし、途中で食料が乏しくなり、食事量が制限されたのにはまいった。朝は古いガソリンの匂いがする米飯、わずかに野菜が入ったみそ汁、ふりかけ。昼はカロリーメイト一袋。夜は朝と同じメニューでご飯はおじや。三日目、晴れ渡った空に浮かぶ雲と青い空、茶色くにごる激しい流れの渓流を眺めていると、五浪して一つ上の学年のキョウジュと呼ばれるセンパイに捕まった。キョウジュは身長2m近い巨体でヤセ型、死んだ祖父が某大学の学長だということを日頃から自慢し、突然歌い出すなどの奇行が絶えず、人のことを見下す癖があるので評判悪かった。「ライター貸して」というので渡すと、ポケットから大量のアカトンボと数匹のセミを出し、いきなりあぶり出した。「さっき生で喰ったけど、加熱してみた。喰え」と、生焼けのアカトンボを出され、興味と空腹半分、あきらめ半分で口にin。羽の根本、胸肉の部分は筋肉質で、軽やかな鶏肉に似た味わい。久しぶりのタンパク質は、予想よりおいしかった。しかし、尾の部分は鮮やかなオレンジの卵か内臓がプチプチしていたので、頭と一緒に捨てた。キョウジュはそれを見ると、よっぽど腹をすかせていたらしく、アカトンボ五匹、セミ二匹を一人であぶりたいらげ、100円ライターのガスを使い果たした。腹が立ったが、面白いので隠しておいた食塩を「内緒ですよ」と渡すと、更にトンボの尻尾と頭をむしり、羽をつまんで腹肉だけ塩をつけてグルメにナマで五匹食べた。キョウジュの腕は擦り傷だらけで、彼がいかにこれらの食材を確保するのに苦労したのかを物語っていた。それ以来、キョウジュのシークレットネームは「セミ」となる。
 学校を卒業して四〜五年、一人暮らしを始めた当初は自宅に誰でも泊めることが出来るのがあこがれであり、またそれが楽しかった。学者になるための第一歩、大学院の研究生として、地方に移住したキョウジュから久しぶりに電話があったのはその頃。やがて上京時の常宿として、我が家を使うようになった。相変わらずの奇行には腹が立つことも多かったが、まあ、それはお互い様。しかし、前日のバイトで疲れ果てた翌朝七時に突然、柔らかい感触のビニールで顔を殴られて「なまけもの、起きろ」と呼ばれ、目を開けると顔にミックスサンドイッチが押しつけられていたので、何が起きたか理解出来ないまま目覚めると「夜明けに目が覚めたので散歩して、ついでにコンビニで朝飯を買ってきてやったぞ。喰え」と威張っていたのにはまいった。「キョウジュ、お願いだから食べ物を粗末に扱うのだけは止めてください、だからいつまでも助手にすらなれないんですよ」とネボケながら文句をいうと「なんだ君は堅いことをいう人だね。つまらん」とふてくされた。それ以来連絡はない。「お願いですやめてください」というと、かならず無茶をやってくれる人。「お願いだから、ナマはもう止めたほうが良いと思います」と、いうと、必ず期待通りナマで昆虫を食べてくれた貴重なキャラ。今となっては、もうすこしおだてて詳細な写真記録を取っておけばよかったと、少々後悔して、なくなくないかも、しれない。