ブクブクするフェネス

HelloTaro2004-11-23


 ブクブクが欲しかった。山の魚はブクブクしないと、すぐ死んでしまう。
 テンサイにしてバカだった10歳の頃、新所沢駅東口の線路際にあったヤマグチというディスカウントショップで、単三電池4本でうごくブクブク、電池式エアーポンプを780円で入手した時は、だからとってもうれしかった。次の日曜日、父親にねだって車で2時間ほど離れた山間の渓流で、ハヤの稚魚やウグイなど捕まえてプラスチックの水槽にいれ、ブクブクさせながら自宅まで生きてつれて帰った時の誇らしい気分。あれは自分の人生の中の輝ける至高体験の一つ。魚たちもブクブクの白い気泡を受けて、歓喜しているように見えた。しかし、夕食をしている間に単三電池は切れてしまい、あとはお約束の惨劇&悲劇コース。ホントマジ泣いたッス、オレ、泣き虫だから。翌週、全財産980円で電源コード式のブクブクを用意し、父親に再度の懇願。そして再度ハヤやウグイなどを釣り、電池式ブクブクで家まで持ち帰り、リレー式に準備してあった電源式のブクブク入り水槽に放した。「今度こそ」と思いつつ悪い予感を感じたが、思い過ごしかハヤもウグイも翌朝、登校する時まで生きていた。しかし、帰宅すると縁側に逆さになって干した水槽とコンセントの抜かれたブクブクが鎮座。「なんでブクブク抜いたんだよ」と、母親に抗議すると「あなたのブクブクは小さくて、ウグイもハヤもみんな呼吸困難で何匹か死んじゃったから、電源を抜いた」そして「渓流の魚を、電気の力で無理矢理生かすのはいけない。電気を必要としない魚や動物や虫はいいけど、ブクブクが必要な生き物はもう持ってきてはダメ。その場で捕まえたり観察しなさい」という。確かに「金網をかぶせた水槽の中にスイカプリンスメロンの皮を置き、集まってくるショウジョウバエをアマガエルに食べさせる仕掛け」を図鑑で見た自分が欲しがると、ハエの群がる水槽をテレビの横に置いてくれるような親だったから、その言葉には説得力があった。その後、我が家では、食べる以外の目的で、海や渓流の生き物は家に持ち帰れないという基本ルールが確立、エアーポンプは封印された。数年後、確かビールのTVCMで露天ジャグジーという文化が紹介され、今度は自分がブクブクしたいためにお風呂でスイッチをいれたエアーポンプは動かなかった。そして自分自身が屋外ジャグジーでブクブクするのに、それから約10年の月日を必要としたことを、まだ少年時代の自分は知らない。
 昨晩、名盤「Endless Summer」で知られる音響派詩人Fenneszのライブに渋谷に行った。体格のよいChristian Fennesz氏がノートパソコンやミキサーから繰り出す音の世界は、なぜかなつかしい、あの頃の「ブクブク」の感覚を想起した。それは背後に映写されている映像がすべて水に関係している、ということだけが理由ではなく、彼の音響の本質的な部分に由来しているのだとおもう。暴力的なノイズ&グリッチが瀧のように流れる音の壁の背後に聞こえる、高ぶり波打つ吐息のようなウェットなメロディ。ヴァニラアイスにスピードをトッピングしたような甘美な痺れと、痙攣のような恍惚状態が無意味に持続する白痴的な快楽。まるで、瀕死の魚が酸素を求めブクブクにすり寄っていくような、満天の星空を見上げて酔っぱらいながらジャグジーに入浴しているような、自然発泡する炭酸水やスパークリングワインやどぶろくの中でおぼれるような、ブクブクと音の粒子や泡が飛び交う中で、アンプの正面に立って、身体が文字通り震える音圧を一身に受けながら、このままずっとこうして電子音を浴びていたいタマシイと、過剰な情報量に思考も音も拒絶していく精神が交差する倒錯した幸福感。これは、これは、得難いですね。曲と曲の繋ぎなど、細かいミスと雑然さはあったが、そんなことは忘れて、こんな個人的な感傷と楽曲鑑賞をごたまぜにするコクリを書いてしまう自分の恥ずかしさも忘れて、とりあえずおもしろかったです。はい。アバネー。
Fennesz.com http://www.fennesz.com/
Freeのライブ映像、MP3音源などもあります。