そういえば、以前、ケニア・マサイ族の部落を訪問した時のこと。一人の娘がもっていた古い木の杖に魂奪われ心惹かれた。正攻法では買えないと踏み、彼女の家族らしいオジサンの屋台から別の安いビーズ細工をあまり値切らずに大量に買うとみせかけ「他になにか他に欲しい物は?」と尋ねられた時、その杖をなにげに「ちょっと貸して」という感じで手にとり「これはいくら?」と聞いた。彼女が予想通り「それは自分の物で売り物ではないから」と別の新品を持ってきた所で、本格的にビーズを含めた価格で値切り&買い物交渉。「その杖を譲らないとビーズも買わないよ」と、お金の力で意中のアイテムをかなり強引に入手したことがある。彼女は周囲の人々や家族らしい年長者から「いいからわたせ」みたいに5分ほど説得され、いやいや譲ってくれた。それは時間をかけてゆっくりなじませた道具特有の味がしみついており、触れるだけでいろいろな景色が見えるような「なにか」を宿していた。その時のことを思い出すと、かなり残酷なことをしたような気持ちになるが、交渉成立直後は「やったー」という喜びしかなかったし、正攻法で別のマサイ族の兄ちゃんから杖を買おうとした同行者が、自分が大量のビーズを含めて購入した金額の5倍ぐらいの価格をふっかけられていたことも後で知って、さらにうれしさは倍増した。しかし、あの時、大切な杖を取り上げられた彼女の気持ちを考えると、ちょっと申し訳ないような気持ちにもなる。中原中也風にいふと「それよ、私は私が感じ得なかつたことのために、罰されて、死は来たるものと思ふゆゑ」という感じかも、しれないカモ。かもね?