カレーの肉

HelloTaro2005-05-26

子供の頃、お気に入りだった小話。インドで現地のコックに「レトルト・ボンカレー」を見せると「美味いな。これはどこの国の料理か?」と、熱心にレシピを聞かれた、、、というもの。インドでカレーというのは、京都で「おばんざい」というような意味で、スパイスで調理した単品の、、、つまり「イモの煮っ転がし」が「ポテト・カレー」というようなニュアンスで使われており、日本のカレーのように肉や様々な野菜が一緒にゴッタ煮にされていないのが一般的だ。
そして、宗教上でのベジタリアンが多く、牛肉がタブーだというインド発祥のカレー料理が、日本だと、そして自分の親の世代だと、まるで「肉料理」の代表のように思われていたのかは、ずっとひそかな謎の一つだった。
たとえば自分の親父(昭和14年生まれ)や母親(昭和17年生まれ)の昔話、東海林さだお昭和12年生まれ)、嵐山光三郎昭和17年生まれ)の食料に関するマンガやエッセイなどでは「カレーライスの中の肉の量」についての記憶が、まるでそれが世界の中心のような重大な話題として度々扱われていたと記憶している。
思い返すと、日本の庶民・農民・平民にとって肉食文化は、縄文時代旧石器時代からの魂の遺伝子を受け継ぐ狩猟文化・諏訪信仰などを例外として、基本的にタブーであった。
ドイツ文学者の種村季弘(昭和8生まれ)は、子供のころに父親が「薬喰い」、、、身体が衰弱した病人への「薬」として肉は扱われていたことから肉食の隠語、、、として「すき焼」など牛肉を調理させると、母が勝手に肉料理に使用した器を土の中に埋めて捨ててしまうので「薬喰いは高くつくなぁ」とぼやいていた、、、、という内容のエッセイを書いていた記憶がある(「食物漫遊記」ちくま文庫)。まだ一般民衆にとっての肉食タブーがリアルだった時代の名残だろう。そして明治時代、戸籍登録がされて兵役義務が生じた時、当時、帝國海軍で支給されたカレーライスが初めての肉食体験だったという人々も多かったのではないのだろうか? 
というか、日本における食の近代化・平民化、、、つまり肉食化の発端の一つがカレーライスだったのだ。
だからカレーライスは戦前・戦後の食料危機時代を通じて、日本の庶民にとっての肉食の象徴となった。
本当の意味での戦後の、そして昭和の終焉とは「カレーライスの中の肉の量について誰も気にとめない」(一部学食を除く)ようになった時に到来したのではないだろうかと、私はここに激しく烈々に主張したい(ドンッ)!!!!