ストリップ

パンツを脱いだサル―ヒトは、どうして生きていくのか
すべてを脱ぎ捨て素っ裸(?)になった「パンツを脱いだサル」栗本慎一郎を読む。
自分自身で体験した重度の脳血栓を「真実が世に知られるとまずいと懸念する勢力」による暗殺を匂わせた冗談にしてしまうようなスゴミがオールドファンには嬉しい。
基本的に1981年にリリースされた主書「パンツをはいたサル〜人間は、どういう生物か」、1988年の「パンツを捨てるサル」の続編という構成になっている。
'90年代の栗本氏の著作は、いくつかの政治本などのぞいて、かなり痛かったが、ちょっとキレが戻った感じ。
人類起源やカザール帝国のナゾ、巨大な通貨の話など、いろいろ面白いテーマはもりだくさんだが、かつて自らが左翼思想の活動家であった過去を振り返ってのビートルズ論に、これまでの著作を総括する一つの回答を見る。
「何においてもいろいろな局面があるが、世代のヒーローとか時代のヒーローとかがその時に持っているものには共通のものがある。時代の夢を自分たちが体現しているのではないかというあの充実感、社会が自分たちにその夢を託しているのではないかと思えた時の身の震えるような思いは何をもってしても超えることのないものだったはずだ。この本を書いている数十年後の私の身にも時折思い起こされるあの熱狂は、まさに生きることそのもののようだった。
あのころ、我々は若かった。そして、世界はどこにどう行くのかまったくわからなかった(わかっていた連中がいたとのちに知った時はショックだった)。その後、知ったことでは、共産圏の一部はまじめに日本で武装蜂起をさせようと計画していたらしいかったし、それをどう受けるかとまじめに論じ合っている勢力もあったらしい。これは裏面史ではあるが事実としてまじめな話だ。政治集会や社会科学の研究会にいまでは想像もできないくらいたくさんの若い学生が集まり、日本は、世界は、そして日米関係のあり方はと論じ合っていた。またただ集まるだけではなく、また聞くだけでもなく、語ること聞くことの一つひとつにおおきく反応があって集会は常に大きく揺れた。多くの学生と同じく、私も最初はそういううねりに感動して運動に入っていったのである。(中略)政治を語る者たちのきらきらとした目、そのメッセージを受け取る者たちの純粋な同意を示す身振りはいまでも身体の芯に記憶されている。私はたまたま二万人ほどの人前で演説することになったとき、拍手や歓声を受けたことがあった。そのときの身体の底から揺れてくるようなぎらぎらしたときめきはとうてい忘れられない」
まさに「いつかぎらぎらする日」な、共産主義学生運動を通じた社会決起の願望は、しかし、後続の学生が続いてこないという事態をもとに敗北していく。
「つまり私の可愛い後輩たちは(とても良い奴も含めて)、マルクスでもウエーバーでもなく、ビートルズに行ってしまった。はっきりいってそれが日本の革命運動における哲学と思想を崩していくことになる」
ビートルズの背後にあった何者かの手により、その曲の歌詞には「家族も政治形態も、すべて幻想であり、体制的な道徳も社会運動にうつつを抜かすのも革命を夢見るのもナンセンス」で「あくまでも個にこだわれ(社会全体に目覚めるな)」というメッセージが組み込まれていた。その激しく直接的・陶酔的な音楽に若者が熱中していく事が、日本を含む世界中の先進国による暴力・革命運動崩壊につながった、いわゆるセックス&麻薬&英国ロックによるラブ&ピースな「水瓶座の時代」説(注1)。そしてここで語られている「ビートルズ」は、様々な現象の中の、ひとつの役割をもった記号や象徴となる。
そして、ロックの陶酔に奪われてしまった、上の「身体の底から揺れてくるようなぎらぎらしたときめき」という感覚は、一章で語られる「マルクスが生んだマルクス主義は、帝国主義者や資本家という『敵』を我々に与えてくれた。マルクス主義は哲学によって浸透したのではない。『敵を殺せ』と言って、我々の攻撃性を解放してくれたから浸透したのである。つまりは、一種の狂気である」という、自らの中にあった、蕩尽される狂気の部分に対応する。
ここで「ビートルズ」と「マルクス主義」のぎらぎらした「蕩尽に向かう快楽・狂気」が相対化され、そのプログラムの中に、自分も含めて、巨大な波の中に簡単に飲み込まれてしまうことへの警告が、文面のそこかしこに連呼されている。
そして、あとがきにて、当面の解決案として我々が出来ることは「だまされないぞ」と心することぐらいだろう、と言い切っている潔さと諦念の味わい深さも含めて、1980年代に「パンツをはいたサル」や「幻想としての経済」、「都市は発狂する」などの著作を読み、なにかを感じた人は、たんなるトンデモ本としてうち捨てずにフォローしても損はしない。
巨大すぎる問題の闇と力の前に、なにも解決しないけど、なにが20年前の栗本氏を突き動かしていたか、そしてこれからの我々を動かしていくのか、その背景を知るための重要な資料にもなるからだ。
参考:栗本慎一郎著書リスト http://www.homopants.com/info/books1.html
注1:ニューエイジ思想と音楽のつながりに詳しい人々の間では有名なお話。昔、ピチカートVが曲のネタにしていましたね。関連キーワードを知りたい方は下記リンクをご参照ください。
知識論としてのニューエイジ:由谷裕哉「ヒッピー運動とアクエリアス
http://www.komatsu-c.ac.jp/~yositani/99na.htm
松岡正剛の千夜千冊『意識の進化と神秘主義水瓶座の境界領域と意識の進化』セオドア・ローザク
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0366.html