ポニョ

この偉大なマイスターによる異類婚姻譚には賛否両論あるようですが、自分は横須賀にあるシネマコンプレックスにて、公開直後と今晩、つごう2回見てしまった。
ここから先は憶測とややネタバレを含みますが、個人的な意見として。
金魚姫であるポニョ(本名ブリュンヒルデ北欧神話の女神、戦士した兵士の冥界への案内人であり、追放され人間と結婚した後、彼に裏切られ殺してしまう)は、半分人間であるフジモリ(フジ=藤は古くは井戸がある場所のシンボル、つまり水=生命の管理者のモリ=守)とグランマーレ(観音菩薩、宗像、海のグレートマザー)の子供であり、そもそもが人間世界の生死など超越した力であり運命であり重層的な生命の保持者である。
そんな金魚が、人間の5歳の子供、宗介に偶然にポニョと「名付けられ」る。そして彼女は名を受け入れる。無理矢理フジモリに戻されたポニョは、フジモリが井戸に集めた生命の水の力も得て、宗介に会いたい一心で逃げ出し、結果として津波となって、人間の世界を時間も空間も生死の境目も破壊してしまう。しかたがない、神の子であるポニョの感情は、地震などと同様に、天災なのだから。
そして冥界のように秩序を失い、月面までが地上に落ちてきそうになった混乱の中、ポニョは魔法の力を捨て(神の娘としての力を捨て)、宗介と一緒になるために、自ら有限である人間となることを選ぶ。そして、宗介は、もともと魚の出自であるポニョとの約束を守り、彼女を受け入れる。
それをきっかけに、ポニョの魔法は終了し、世界は有限な秩序を回復していくことを予感させる。
これがこの物語が一般的に「まっすぐなハッピーエンドのファンタジー」として告知されている所以であろう。
しかし、これは本当にハッピーなのだろうか?
この物語の恐ろしさは、見る側によって、もし宗介の立場を受け入れる事が出来ずに「こんな気持ち悪いものとは一緒になれない」「ポニョの(強すぎる)思いが恐ろしい」と思っただけで、ほんの紙一重のきっかけで、悲劇に満ちた(冥界のような)災害の世界になる予感に満ちていることだろう。
つまり、これは5歳の子供(と過去に5歳の子供であったすべての人々)に、同時に巨大な疑問と不安を突きつけてしまう物語でもあるのだろう。
ネット上で「子供にみせたらつまらながって、帰ってポケモンを見たがった」という意見があったのですが、それはこの映画が言語にならない精神の不安を呼び覚ますから。
でも、自分は面白かったよ。すごい監督が老年を迎えると、こういう自由な精神の作品を作るようになる、その良い意味での典型だと思うし、ちゃんとエンターテイメントとして成立しているし。