鼻血ブー再考

HelloTaro2009-08-09

昨日、会社の同僚や友人が家にやってきて、10人ぐらいでガヤガヤとだべっていたら鼻血が突然出てしまい、あわててテッシュとろうとしたら高速回転する扇風機のファンに鮮血が飛び散ってしまったが、回りのみんなは気がつかないふりしてくれて、大人だなぁと思った。
これが小学生、いや、中高生の集まりであったとしたら、これは後々語り継がれる伝説あるいはイベントになったかもしれない。
すくなくとも、男子小学生だったら
「太郎、はなぢだしたー。ぎょえぇ〜〜」
ぐらいのリアクションを期待できるのではないか。
そういう意味では、あまりにひっそりと処理された鼻血(おいらの後処理の素早さも含めて)は、若干の無念をともなっているようにも思えなくもない。
さて、人はいつから大人になるのだろうか?
いつから鼻血に動じなくなり、見て見ぬ振りを(親切として)できるようになるのか?
たとえば、子供のいう「普通」と、大人の「普通」は違う。
自分の年代を中心とした、学校や家庭など、ある意味で均一に近い世界にいる子供たち。
それに対して、人の数だけ、いろいろな立場や思いや考えがあり、複雑にからみあう社会の中で関係性を築き、また納税し、健康診断を受ける大人では、おなじ「私は普通の人だ。普通に暮らしている」という意味のことを話す時のニュアンスも異なるだろう。
今朝、扇風機についている血を拭き取りながら、そんなこと思ったりなんだら。