育児
子供が生まれたことでわかったことはいろいろあるのですが。
一つは、人間がなぜ哺乳類に分類されるのか、再認識したことです。
おっぱい or ミルクだけで数ヶ月で体重が2~3倍に増えるのだからすごい。
ここ数日、自分と妻が両方とも風邪ひいているので、日々すべてが静かな戦争みたい。とりあえず、おっぱいの量が不足しているため、子供がミルクを飲むか、飲まないか、それが毎晩の睡眠時間に関わる最重要課題。
喪失感
娘が生まれた直後、メインで使っているmacbookのハードディスクからガリガリと異音。起動もなにもしない状態になる。しかしそんなことにかまう余裕がない日々の連続。むしろネットやパソコンにはまっていた過去と決別するための人生が与えてくれた通過儀礼かしらとか思ったりして。バックアップとっていなかったiTunes購入の音楽データ、写真のデータは惜しいけど、そんなことより大事なことがあるんやで。などなど自分に言い聞かせてみたり。
で2週間ほど放置してから、なにげなく再起動すると動いた。あわてて交換用ハードディスクを購入しバックアップとる。セーフ。ふーっ。
しかしいつお釈迦になるかもしれないため予備機を調達。定価の20%OFFぐらいの金額でMacBook Pro 13.3インチと交換用の8GBのメモリを購入できたのはラッキーだった。
MacBook Proのメモリ増設に続いて、お古のmacbookのハードディスクもデフォルトの250GBからバックアップ済の320GBに拡張。音楽やビデオ、写真などのファイルもガシガシ削除すると、しばらくなかったぐらいにサクサクキビキビと動く。まだまだ現役かも。新しいMacBook Proもしばらく出番ないかもなどと思いつつ写真現像管理とビデオ編集機にすればいいのだと思ったり。まあ、あんまし欲張らないほうが良い。
作業中、泣いてしまった赤ん坊を片手で抱きかかえあやしながら細密ドライバーでパソコンの裏ネジ締めたり楽しかった。とりあえず腕力に加えて、非常に注意力が必要なのであまり人にはおすすめはしない。
結局の所、データはひとつも失わなかった。
しかし、パソコンが動かなくなった夜、なにかを喪失したような痛みと、それでもいいやっていうふっきれた気分は、通過儀礼のように自分の中に残っている。
ものごと
ここ数週間、数日、おもしろかったというか、おもしろい最中というか。
具体的には、娘が生まれ、パソコンが入れ替わるように動かなくなり、ひたすら根菜や乾物などで煮物作ったりしてた。
子どもと一緒に、自分も誕生し直している最中。
業務用炊飯器
あれは1990年代も半ば。どんな理由か忘れたが、確か仕事上の都合で、午前4時に腹を空かせた自分は、四谷S丁目の魚久に近い全国チェーンの牛丼店カウンター席に座った。客は自分一人。セルフでポテトサラダとゴマドレッシング、お新香をゲット、厨房に「牛丼大盛り」と伝えると、ほっと安堵。すると、奇妙な唸り声が、壁の裏から聞こえる。突然、バタンという音がして、カウンター背面に仕込まれた小さな扉から、30kgの米袋と、ほぼ同じ大きさの、若い小さな女性が現れた。「馬鹿、床に引きずるじゃねえ」。ドスの効いた怒鳴り声が、店内に満ちる。肌の白い一重まぶたの少女が、180cmはあろうかという、骨太な40代の親父をキリッと睨みつけながら、押し殺した声で「手伝ってください」と呟くと、親父はなんだかわからない唸り声をあげながら包丁を片手に「一人でやれ」といいつつ、はいお待ちと、大盛りの牛丼を自分に供して、少女に近づいた。「手伝ってください」。「もしお前が馬鹿でも阿保でもクズでもなければ、一人でやれ。出来ないなら能力がないと報告するまでだ。ほら、自分は出来損ないのクズですと自分で言ってみろ」「嫌です」「だったら一人でやれ」「でも、私、もう上がり時間です」「明日の米を仕込んでから帰れ」「でも」「自分はクズじゃねえんだろ、役立たずはそれぐらいしてみろ」。
親父はギラギラの目を輝かせながら、泣きながら米袋を抱え、イモムシのようにコンクリート床を這う少女を、我が子のはじめてのハイハイを見守る父親のように、着かず離れずの距離をたもちつつ、歓喜の表情で眺めていた。これはなんのプレイ? 少女は、業務用炊飯器の米を研ぎながら、唇を噛んでいた。米の中に、涙がポタポタしたたる。彼女は気にするでもなく、そのまま炊飯器のスイッチをセットして、出てきた倉庫の中に戻っていった。自分は、翌朝、この塩気を含んだ米飯を食べたら、どんな味がするのか、想像しながら、半分、眠った状態で、大盛りの牛丼を食べ終えた。
左翼のアメリカ
葉山の美術館で、ベン・シャーンの展示を観た。アメリカの左翼の時代というものが、1940-50年代以前は確実にあって、実は本格的なレッドパージ以前、日本が占領されたアメリカは左翼のアメリカでもあって、ベン・シャーンの絵画や写真には、そういう時代の匂いも残されており、この喪失感ともノスタルジアとも言い難い感覚の想起に、居場所のない心地悪さと同時に、いまさらシャーンかよと、思う自分自身に、なにやら涙腺を刺激するものも。第五福竜丸にちなんだ放射線に犯され死んだ漁師の絵画を20数年振りに観たが、この作品の所有者が福島県立美術館というのも因果鉄道の旅の結果であり、クロスメディアアーティストとしてのベン・シャーンという焦点の確かさもあって、言葉を選んでみても、この時代の日本に必然性のある展示といえて、とてもよかったと思った個人的に。現在の親米保守は結果的にただの売国奴になっているが、かつて良心があったということを思い出せたかも? しれないという意味でも。