先日、久しぶりにドトールコーヒーを喫茶店として利用したら、スターバックスコーヒーに入店出来ない喫煙者たちのパラダイスとなっていた。今西錦司先生の「棲み分け理論」を思いだしつつ、煙に追い出されるように退散した。
 一昔前に2ヶ月ほど働いてクビになったデザイン事務所では、休憩室でお茶やコーヒーを飲んでいると「さぼっている」と社長に怒られた。しかしタバコを吸っていれば30分置きに休憩室を利用してもOK。理不尽だと思いつつ、火をつけたタバコを目の前の灰皿に置いて休んだ。

 現在も自分は喫煙者である。外出中や仕事中は全く喫煙しない。寝る前に2〜3本吸う。
 「どうせ毎日2〜3本しか喫煙しないなら、いっそ禁煙してしまえばいいのに」と、喫煙者からも非喫煙者からも指摘される。

 どうして喫煙を止めることが出来ないのか? ということを考えると、いつも、こころの中に空いたちいさな「穴」のイメージが浮かぶ。昼間は忘れていても、目を閉じて一人になる睡眠前の無防備な時間帯に、こころの「穴」は自分の欠損と空虚を無言で責めたててくる。適度なアルコールとタバコの煙は一瞬だけ、その穴を優しく埋め存在を忘れさせてくれる。だから、外出するとき、宿泊する時、いつもタバコを手放せない。

 時々、誰のこころにも、同じような穴が空いているのだと想像する。
 穴たちは、タバコや酒や薬物、セックスや音楽やスポーツや、いろいろなもので、その空虚を埋められ、塞げられることを求め、静かに欲望しているのだ。などと、こんな嵐の夜、考えている。