COIEDA

 911直前の初夏。バイク事故で入院中のKさんのお見舞いに行くと、瀕死の大事故だったにもかかわらず、ギブス&松葉杖で足をひきずりつつも、元気そうな顔で「すっげーネタを見つけたよ」と笑っていた。電気グルーブピエール瀧と野球の清原選手を足して割ったようなルックスのKさんは、バーのマスター兼、ライター、DJなど多面的な才能と知識の持ち主で、みんなの兄貴分。特にダブとハウスを中心に、寺尾聡やゴダイゴなどの歌謡曲、現代音楽、アンビエント、ディスコまで、なんでも並列してしまう独特のDJセンスが光っていた。しかし、彼が一番熱中していた作曲は、独特の輝きや興味深いものがあったが、その多くは15〜30秒ほどで終わり、長い一曲に展開することが苦手だった。そのKさんが入院中に見つけた新ネタは、CTスキャンなどの医療器具の電子音をサンプリングしてアルバムを作るというアイデア。「特にドイツ製の機械が、すっげクールで、なおかつ人が不安にならない微妙にあったかいパルス音なんだ」。
 ギブスがとれて新しいバイクでKさんが遊びに来たので「こないだの曲のイメージって、こんな感じ?」と、池田亮司・Dumb Typeの「OR」サントラ(1998)を流すと、まだ買ったばかりだから貸せないというのに「明日返す」といって、奪うようにして持って行った。数日後、電話をすると、開口一番「ああ、Dumb TypeのCDの件だよね。ごめん、来週返す。もうすこし待って〜」。これがKさんと交わした最後の会話。その翌週、Kさんの遺体はN県山中の別荘地で発見された。死因は不明。誰も教えてくれない。
 「OR」は、1980年代から活躍するグループ、Dumb Typeのリーダーであった古橋悌二氏の病死後、残されたメンバー達が病室で彼の死を一人一人追体験するというテーマのライブ・パフォーマンス。自分は初台のNTTの美術館でのビデオ上映でしか観ていないが、完璧なタイミングと強度をもったパルス音で「喪の儀式」追悼曲を作曲・構成した池田亮司は、Dumb Typeと一緒に、その名を世界中に知らしめた。
 昨日、歯医者で治療を受けている最中、ドリルで歯を削る高周波のモーター音と、BGMの環境音楽(いわゆるヒーリングミュージック)が重なり、脳が自然にDumb Typeの舞台や「OR」の音楽を連想。医療器具を使ったサンプリングミュージックといえば最近Matmosの「A Chance To Cut Is A Chance To Cure」(2001)が有名だし、もしKさんに貸したのが「OR」ではなく、陽気な変態アメリカ人ユニットのCDだったら彼は死ななかったかも、と、神経を抜かれながら、ありえないことも、ぼんやり考えた。麻酔でふらふらしながら職場経由、タワーレコード新宿店に行くと「OR」は売り切れ。現代音楽やこの手のCDは、ある時に買うのが基本ルール。鎮静剤のせいか感覚が壊れかけて、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの新作アルバムを視聴したら泣きそうになったが、高木正勝「COIEDA」と、ヨコタススム「Symbol」を購入。「Symbol」はThe Electric Chamber (William Orbit)の「Pieces In A Modern Style」(1995)をヴァージョンアップしたような内容。高木正勝の新作は、昨夜からもう10回以上聞いている。Kさんがいなくなって自分の生活で一番変化したのは、音楽の聞き方。以前は部屋の中心にCDJとミキサー、アナログプレーヤーを置き、CDやレコードを山積みしていたが、全部片づけた。現在はiBook&iTuneで音楽データをアンプに直接つないでいる環境。音質を聞かせる人もいないので、これで十分。音楽もフロア向けのダンス音楽ではなく、リスニング系電子音楽やデスクトップミュージック、和製ポップスが中心となっている。
 利害もなにもなく、ただ音楽を一緒に聴くだけで心おきなく楽しめる友人は宝物だった。本当に、そう思う。