小舟

昨日、千葉の外房にある平安時代から続く聖地としてしられる山中のお寺をお参りした。もともとは天台宗密教寺院として開かれ、後に真言宗修験道場となり、お土地柄、日蓮由来の寺院であるため、江戸時代に日蓮宗にくらがえした歴史を持つ。
寺の宝物庫で修験道の祖とされる役行者肖像画を見たときに、彼が開いた紀伊半島の地名がどうしても思い出せず、くやしい思いをした。
その15分後、バスを待ちながらザルそばの食事をしていた時、食堂のテレビで世界遺産特集をやっており、吉野・熊野・高野山の古道の映像が流れ、自分が思い出せなかったのは吉野の大峰だということが判明。ついでに役行者がらみでひっかかっていた鬼のことや、東京・六本木のギャラリーP-Houseで開催中の「バ  ング  ント」展で飴屋法水氏がこもっていた箱から連想して、ずっと調べなくてはと思っていた補陀洛渡海(ふだらくとかい)に使われた小舟の映像が出てきた。

僧侶たちは、この小舟の中にわずかな食料と水だけで、南方海上にある観音浄土を目指して、太平洋の向こうに片道の旅に出かけた。途中で志がくじけないように、小舟の戸には外から釘がうちこまれたという。
黒潮の流れのこと、もしかしたら、紀伊半島から流された小舟は、房総半島に漂着したかもしれないと想像する。