素焼きの丼

「あのそまつな素焼きの丼(いまはプラスチックだが)に入った、駅売りのソバは、心地よく喉を通るのだった。上にのせるものは、玉子よりも天プラの方がよかった。といっても五円か十円の天プラだから、芝エビがわずかに入った、メリケン粉たっぷりのしろものなのだが、その油がタレにしみだしてギラギラと浮いており、ネギと七味唐ガラシのピリピリする刺激といっしょに熱い汁が喉を越すと、胃の中もあたたかく、何となく満ちたりた気分になれるのだった」と語る作家は、この「素焼きの丼」をどうしても捨てる気がしなくて「旅の記念にボストンバックの底におしこみ、自宅まで持ち帰った経験は、おそらく大ていの人が持っているだろう」と断言する。
昭和43年に大作家によって記された記述は、貴重なことを教えてくれる。
一つは、駅の立ち食いソバは、使い捨ての素焼きの器で出されていたこと。
二つは、1960年代後半には、それは既に過去のこととなりつつあったということ。
骨董店にて、駅で販売されていた陶器製のお茶容器は見たことがあるけど、素焼きのソバ丼はないなぁ。ちょっと後の、横川の釜飯や高崎のダルマ弁当などの駅弁は、よくおみやげで持ち帰られたものを見かけたけど。
しかし、素焼き丼での立ち食い天プラソバ、ちょっと食べたいなぁ。不思議にうまそうだ。