鏡の明るい部屋

3年ほど使いまくっていたデジタルカメラが発狂したので、入院しなくてはならなくなった。
とりあえず、新しいカメラを手配。古いカメラは修理後にサブにすることに。
アナログ銀塩時代のカメラはレンズとフィルムのチョイスが最重要で、ボディは一種の媒体として最低限の要求を満たせば、20年前とかの機材でも、あとはセンスでなんとでもなった。
最近のデジタル一眼レフの場合は、カメラ側の感光パーツ性能そのものが、一種のフィルム選びみたいなものになっており、またパソコン同様に日進月歩の世界でもあるので、新しい廉価な機材が、すこし前のプロ向け最高級機材よりも、軽く性能の上で凌駕していたりする。こうなると、無理して耐久性に優れた高価な上級機材を狙うよりも、むしろメーカー同士の競争が過酷なアマチュア向け機材のほうが興味深いケースも多い。
で、四半世紀後に、今の発展途上のデジタルカメラのCCDの味とか評価されるのであろうか? ま、あまり一般的ではないかも。
デジカメにおける核心は、じつは撮影後の後処理。印刷原稿などを作成するときには、入稿前に細かいトーンの現像処理を重ねて徹底的につくりこんだり。パソコンをつかった脳内暗室作業が最も重要だ。場合によって、撮影はその素材作りにすぎなかったり。
実はモノクロだけではなく、カラーフィルムを使っているプロカメラマンも、仕上がりや要求によって暗室(つまり現像ラボや職人)を使い分けしていたり、アートディレクターも、印刷製版職人の腕とテクニックに依存する側面もあって、まわりまわってすべては同じだったりする。

とりあえず、今が過渡期であることは確かで。DJカルチャーなどのニーズでアナログレコードが終焉しなかったように、アナログタイプのカメラやフィルムも絶滅はしないだろうが、徐々に一般的なものではなくなっていくとおもうと、さびしいような不思議な気持ちになったりして、とりあえず雨を眺めたり。