タイミング

HelloTaro2006-04-16

昔からどういう訳か、女性が多い職場や学校にいる。建築現場で美術の仕事をしていた時ですら、女性に囲まれていた。
で、男性とちがい、女性は、コミュニケーションツールとして、お菓子を配ったり、配られたりするのが大好きだと思う。いや、大好きである。
自分は、実はそれほどお菓子に興味がないのだが(いそがしすぎて、どうしようもないときにポテトチップスなど食べるが、それはあくまでも食事の代行品である)、もらうばかりではいけないので、先手をうってお菓子をどんどん配ることにしている。
特に、新製品のチョコレート菓子とか、甘い箱系のクッキー、キャンディーなど購入する。買っても自分で食べるのは、1粒か2粒で、あとはほとんど配ってしまう。週に3・4回、そんなことをするだけで、人間関係は面白いようにスムーズになることも、ある。まったく効果がないこともある。特に、工事現場など、身体を使う職種の時には、ちょっとした食べ物のありがたみというのは、非常に大きい。
先日、大学時代の友人と飲んでいて、彼女の年下の上司は「人が甘いものを持っているとおねだりする。自分でも休み時間に大量のおやつを購入している。でも、絶対に人には配らない。私がおねだりしても無視している。最低でしょ?」と、同意を求められた。その時、思い出したのが、昔の職場で、仕事の方法について隣の席にいた女性と議論していた時に、最後「わたし、あなたにあんなにお菓子をあげたじゃないの。どうしてこの話の勝ちを私に譲ってくれないの」とすごまれた体験だ。
たしかに、彼女は業者からもらったサンプル菓子を、味見と称して大量に周囲に配っていた。自腹でも、よくお菓子を買って、ちょこっとづつ、小分けにして机に置いて廻っていた。
しかし、、、、その時は、あまりに唐突に非ロジカルな言葉が発されたことにショックを受けて、どうしていいのかわからず、もういちど頭から戻って論理的に議論を続け、結局、平行線のまま放置してしまった。それ以降、彼女とは関係がうまくいかなくなった。今は、そんな自分が若かったと思う。が、ま、物事には相性もある。
この話に、とくにこれといった結論はないのだが、自分は人に配るための菓子を購入する、チョイスする時間は、それほど嫌いではない。
もし地球が100人のタロさんで出来ていたら、たぶんお菓子屋さんという職業は存在しない。嫌いではないが、なくても平気(サトウキビ屋さんはいるかもしれないが)。しかし、みんなに配るためのお菓子を選ぶという行為によって、自分は社会の均衡、たとえばコンビニの棚に対するちょっとしたセンスやバランス感覚をつかむきっかけになる。
また、相手にプレッシャーをあたえないように、またエコひいきに思われないように、ほんとうにちょうどよいタイミングでお菓子を配るセンスとタイミングには、けっこうテクニックが必要で、この種の人間関係と観察眼を鍛えるトレーニングにも、お菓子配りは悪くない。よいレストランのよく調教されたボーイのように、スムーズにお茶とお茶請けを配るのは、けっこう楽しい。10代後半に、今の技術があれば、たぶんもっと楽しく適当にモテな青春時代と人生が送れたのにとも思うが、ま、こうしてズルズルとCDや古本に囲まれ独身で遊んでいられたのも、たぶん必要以上にモテなかったおかげで、それはそれで悪いことではなかったような気もする。